| 時期 |
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| 1994年 |
中学3年生。
夜中にフジテレビで放送されていた「オールナイト フジ」のブレイクダンスバトルを毎週楽しみにし、布団の上で真似をする。
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| 1995年 |
高校1年生。
とりあえず、近くにやっている人がいなかったので、同級生とスクールへ行くことに。丁寧に教えてもらったのだが、雰囲気が肌に合わず一回でスクールは行かなくなる。やっぱり、リアルを体感しなきゃね と思い、独りでR?hallで開催されていた『B-boy
Night』へ。※当時はIDチェックがなかったので入れちゃった。
クラブ遊びがよく分からなかったので、開店(21時)に入店。ショウやバトルが始まるまで隅っこで息をひそめて待っているのは大変だったけど、サークルバトルが始まると必死に近くに行って見てました。学校で真似して動いたりしてみるも周りの反応は微妙。
少し経ってから、同じクラスにHipHopのやり始めの奴がいたから一緒に水道橋の東京ドーム(後楽園遊園地)毎週土曜日に練習を始める。六歩とシフトをひたすらナイキの重い靴で練習。
この時の川崎はまだ怖そうなHipHoper立ち(立ち踊り・ラッパー)が場所を占領している。立ち踊りの人に横浜の地下街のスペーススリーで練習しているアフロの人を紹介してもらい、横浜にもたまに行くようになる。仲間(高校の)でショウに出たのは水道橋でやり始めてから6ヶ月後。そのイベントで始めてバトルを体験する。その時の相手が池袋のテツ。
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| 1996年 |
この頃に横浜の先輩の紹介で大河原さんと出会う。
夏、B-boy Summit Japan がクラブチッタであったので一人で行ってみるが、レベルの差をとても感じた。タンクトップの男子が調子に乗っていたのを良く覚えている。僕もサークルに飛び出して踊るが周りは無反応。もちろん、自信はなかったけど悔しかった。
そして、ステージから見て左側にやけに大きなサークルができていてスゴイな〜と思って見ていた。後日聞いた話しだと、ワセブレvsRSCだったらしい。ワセブレの雰囲気(存在感)が独特だったのが記憶に鮮明に残っている。
9月くらいに新宿のハイタイムというクラブ(毎週火曜日はオールで練習できた)と知人を通して紹介してもらう。そこでバトルに目覚めたと行っても過言ではない。"ダンボール"の人や"ニヒルズ"というチームの人によくバトルの相手をしてもらう。(たぶん、相手は僕のこと覚えてないかも)
火曜日の夜なのでオールで練習して、朝になったら家に帰ってシャワーを浴びて学校に行くハードな生活。
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| 1997年 |
同い年の友達2人(Pop/HipHop/Break)とパーティなどを中心に少し活動する。
その名も"ジパング"です。楽しかったけど、自然消滅。
オオハシさんに誘ってもらい、YokohamaCityBreakersでOld Skool Night@ハイタイムに出させてもらう。(曲がショウの途中で止められたり、タートルが回らなかったりでつらかった)
※オオハシさんの若手を表舞台に出させてあげようという姿勢は尊敬に値します
ギズモ(Bag of Trix,Canada)をハイタイムで見たのもこの頃かも。ワセブレで一緒に彼がショウをやっていて日本人の若手が入った!?とビビる。当時、僕の方針として打倒ワセブレだったが、チャオさんやジャックさんのネタや服装をそのまんま真似してしてた。オールドスクールナイトもワセブレを見に行ってたといっても過言ではない。
ギズモのスタイルに衝撃・影響を受ける。
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| 1998年 |
秋くらいに船橋のクラブで地元人らしき人とバトルになり『チャオさんみたいな人だ』と思っていたら、Waseda Breakersのチャオさん本人だった。知り合った後日に『ランダム』という船橋周辺のB-boyを集めたチーム(集まり)でショウタイムに何度か参加させてもらう。ベニジャケさんと会うたびバトルをしていた時期。
ワセダナイトを知り合いを通して知り、ワカタケさんと少しバトルをした。もちろん秒殺。まさに秒殺という言葉がぴったり。ワカタケさんの記憶にはないかもですが・・・
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